祈りの究極は、つまるところ『感謝』と『懺悔』です。

神様・仏様といえば、お願いごとをするものだとの一般認識がありますが、まずは感謝の祈りから始める ことが大事です。
信仰を捧げる対象である御本尊は、一念三千、わたくしたちみんなの心とつながっています。御本尊に感謝すれば、しだいに家族、友達、同僚、そしてすべての環境にも感謝できるようになります。御本尊に誠実な感謝を捧げることで、翻って自分の環境、そして自分自身を肯定できるようになります。

逆に、他人に対する攻撃的な感情(恨み、怒り、嫉妬、責任転嫁、愚痴など)は、御本尊を攻撃することと同義であり、すべてご自身に戻ってくるということもきちんと認識してください。

妙法蓮華經の常不軽菩薩品第二十には、ただひたすら人を礼拝する人生を送った修行者の逸話が紹介されていますが、その修行者こそ釋尊の前世の姿だったのです。

願ほどき・お礼参り

人は歯が痛いときには万障差し繰って歯医者に行きますが、痛みがなくなってしまえばまだ治療の途中でも自然に足が遠のいてしまいます。

つい忘れてしまいがちですが、苦しいときに神さまに願をかけて、その苦しみが和らいだ時には、もうすっかり願をかけたことを忘れてしまう方がいらっしゃいます。もし人間界で、お願いしたことのお礼を欠かしてしまえば、以降の両者の関係はほとんど修復できません。神さまに願をかけて叶ったのにお礼をしなかったら、再び願をかけても、もはや願いが成就されることはないと覚悟してください。

祈願と、願ほどきとお礼参りはセットです。祈願を入れたら、絶対にお礼を申し上げましょう。

家屋の取り壊し

長年お世話になった住まいを取り壊すときには、必ずその家を守ってくださった宅神さまに感謝の気持ちを捧げましょう。

井戸埋め

すべての生命は、水がなければ生きていけません。
その水の恵みを与えてくれた井戸には、水神さまと龍神さまがいらっしゃいます。これまで命をはぐくんでくださったことへの感謝の気持ちを申し上げ、本地にお帰りいただくよう懇ろにお送りしましょう。

日々の感謝

究極の正しい信仰態度は、日々感謝を捧げることです。

われわれの御本尊とは、万物一切です。

身の回りのあらゆる人々、社会、環境に感謝の気持ちを持ちましょう。
感謝しながら生活しようと意識すると、感謝すべきものが実に多かったことに気がつきます。